中学、高校と過ごした函館。
学生の時ってあんまり寒いなんて
感じたことありませんでした。
コートとかもちゃんと着た記憶、ないです。
きっと四季の移ろいや、天気や気温なんて青春の発する熱量にはあまり関係なかったのかもしれません。
函館に戻ってきてから、
6度、冬を越えました。
毎年毎年春になるのを待ち遠しく
思って冬を過ごしております。
寒さもビシビシ感じております。
歳を重ねると鋭敏になることもあるようです。
でも、実は最近、冬も楽しく過ごすことも覚えて来ました。
薪ストーブもその一つ。
冬の早朝、
外はまだまだ真っ暗だし、
雪もちらつく氷点下。
焚き付けと言って細かく切った枝や建材(ちなみに昔話によく出てくる、おじいさんは「しばかり」に、
の「しば」は「柴」と書きます。細かい薪や焚き付けのことで、芝刈りではないんです。
僕はずっと芝刈りだと思ってておじいさんは立派な庭でもあるのかと思っていました)
を昨夜の薪の残り火に絡ませて火をおこし、お湯を沸かします。
まだ誰も起きてこない時間(僕はパン屋なので朝が早いんです)、外も家の中もとても静かで、
時折、薪のパチパチはぜる音が聞こえるだけ。
しばしボーッと立ち上る煙やチラチラ燃え出した火を眺めて、お湯が沸くとコーヒーを淹れます。
なんだかとても贅沢な時間なんです。
春先からせっせと薪を切ったり割ったり、なかなか大変だけど、やめられないものがあります。
積み上がっていく薪の断面が美しいし、時間が経って色が変わっていったり木の種類にも詳しくなったり、
何より山や森のなかで木と格闘したあとに食べるお弁当が美味しいんです。
もちろん薪を買うこともできますが
自分で割ったり、積んだり、乾かしたりすることで季節の移ろいをより感じることができるし、
なにより薪ストーブライフを全体で楽しめるなぁと感じております。
薪ストーブがいつも家の中にあって、なんだかそこを中心に生活が回り、
今や薪ストーブのおかげで四季の移ろいや日々の寒暖やご飯の美味しさに気づかされる、
いや、なかなか悪くないんじゃないかな。
最近は10代のように勢いよく燃え出すことは少なくなってきましたが、
くすぶったり、消えかかったりしながらも、静かに暖を取る薪ストーブのように
日々の暮らしを一つ一つ楽しむことがなによりの喜びです。
箱バル不動産 苧坂 淳